カテゴリー「村上春樹」の3件の記事

ノルウェイの森

もう何回か読んだ。たまにまた読みたくなる。

この小説から村上春樹に入るヒトも多い。この作品は100%の恋愛小説かもしれないけど、100%村上春樹ではない。

ほとんど現実世界のことを書いている。僕は相変わらず僕だけど。名前がある。

比較的多い性描写、自殺が嫌われる原因か。こんな陰鬱なプレイボーイいんのか?

直子、緑というまったく性質の異なる女性が出てくる。僕は直子が好き。好きになったところで、こっちまで病気になりそうだけど。愛してもらえないというのは辛い。ただ、澄んだ瞳に僕は弱い。

緑が話すショートケーキのくだりで思うのは、女性の本質はこういうものじゃないかなということ。気持ち重視で、論理性が足りない。コロコロ変わる。

僕は、直子を愛していると自覚していながらも他の女性と寝る。可能性を見過ごすというのは難しいこと、と永沢さんは言う。

男も結局、論理的でない行動をしているではないか、と言われそうだけど、どうなんだろ。

僕が直子から愛されていると確信していたらそういうことはしないんじゃないだろうか?僕自身の中では矛盾が生じるかもしれないけど、端から見たら何の問題もない。別に付き合っているわけじゃないし。

僕も寂しいんだ。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫) Book ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

著者:村上 春樹
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村上春樹「走ることについて語るとき僕の語ること」

アマゾンで予約して、この本が届いたら走り出そうと思っていた。読む前から決めていた。

この本は今までの「村上朝日堂」などのエッセイとは違って、走ることを中心に自身のメモワールとして書かれている。

これは初めて。

村上春樹が自身のこと、特に内面を文章にすることはあまりない。今回はメモワールだから結構自分のことを書いていた。

16歳のときに自分の体を鏡で見て、劣っていると思う箇所をあげていった、というエピソードがあった。僕もしたことがある。

村上春樹は、これだけ外面が劣っているなら内面はもっと劣っている、と思ったらしい。

僕は、外面をよくしようといろいろトレーニングをした。

僕は空を見上げたりするべきではないのだろう。視線を向けなくてはならないのは、おそらく自らの内側なのだ

村上春樹は内面を掘り下げていき、小説を書いた。日々、自分を見つめている。このエピソードのように内面への意識があった。

他者とのつながりが薄くなる中で、どれくらいの人が内面を見つめているのだろう?「私はこういう人間だから」と決めることは内面を見つめていることにはならない。

一つ一つの行動に自分の内面が映し出される。それは日々変化する。特に若いとき。自分のことを考えることで、自分のやりたいこと、本心、性格が理解できる。新発見もあるだろう。

この本では「走ることについて」書いてある。著者は執筆のための体力をつけるために走っている。すぐ太る体質だから走らないとすぐに太るらしい。でもその体質のおかげで「走らなければ」と思うようになるんだからよかったのだ、とポジティブにとらえている。

マラソン、トライアスロンなどの大会に出場している。そのときのことも書いてある。走るときに考えること、走り終わった後のこと、小説を書くためのこと、自分が小説を書くまでにいたった道筋などなかなか聞けないことがたくさん書いてあって、楽しかった。

村上春樹の小説以外の著書には、エッセイ、紀行文などがあるが本当に文章がうまいな、と思う。非常に読みやすいし、楽しい。ジョークもある。

でも一番イイな、と思うのは自分の感想に関する文章だ。著者のそのときの気持ちが伝わってくる。

村上春樹を読んだことのない人、走ることに興味がない人でも十分に楽しめるし、僕みたいに走ろうとするきっかけになるかもしれない。

走ることについて語るときに僕の語ること Book 走ることについて語るときに僕の語ること

著者:村上 春樹
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風の歌

風の歌を聴け (講談社文庫) Book 風の歌を聴け (講談社文庫)

著者:村上 春樹
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僕はたしか中学二年のときに初めて村上春樹の著書を読んだ。

もちろん「風の詩を聴け」

帰省中の電車の中で読んだ。そのときはこんな小説があるのかと驚いた。それからあのクールでどこか陰のある「僕」に惹きこまれてしまった。

中二といえば、思春期真っ只中である。

そんな多感な時期にあの小説を読めば(ちゃんと)多くの中二は影響を受けるんじゃないかと思う。鼠と僕の会話に憧れ、よくわからない比喩を使ったり、クールぶったり、どこかに陰を漂わせたり・・僕は、そうした。

それから僕は、「変人」と言われるようになった。正確には高校からである。でも変人なんて世の中にはたくさんいる。僕は自分は普通だと思う。思春期に何かからモロに影響をうけるなんてのは、まったく普通の人間だろう。

ただ周りの目をあまり気にしないで行動していたかもしれない。周りの目を気にして、行動を制限するというのは、中高生のすることではないとそのころ考えていた。坂本竜馬「衆人がみな善をするなら、己一人だけは悪をしろ。英雄は自分だけの道を歩く」と言った。僕はそのころ英雄になりたかったのだ。

僕が一つ残念に思うのは、周りに一人も村上春樹を読む人がいなかったことだ。

そもそも村上春樹を読むきっかけをくれたのは、いとこである。彼は村上春樹が好きで、早稲田(村上春樹の出身校)を目指し、一浪の末合格した。その話を聞いて、軽い気持ちで読んでみたのである。

しかし、彼は昨年自殺した。

その自殺の三ヶ月前に久々に彼と会い、村上春樹談義をしたり、人生観を語り合ったり、日々の生活のことについて話したりしたばっかりだった。彼は、表面上は「僕」とは違って、人付き合いがうまく、僕が彼のとこを訪れたときも、とてもやさしく接してくれた。しかし、彼には陰があった。僕はそれをときどき感じていた。それが最悪の形で現れてしまった。僕はショックだった。涙もでなかった。彼には教わることがたくさんあった。尊敬の念も少なからずあった。もうなにも語り合えない。

僕は彼を忘れない

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